【大原櫻子】未経験から映画オーディションを経てデビューした芸能人

2020年07月15日
目次

1-1大原櫻子 オーディションを受ける前

大原さんが映画の歌や演技に興味を持ったのは、小学校2年生の頃からだそうです。きっかけとなったのは、アメリカ版のミュージカルの演目の1つ「アニー」です。幼少期から演技に興味があった大原さんは、「のびのびと歌っていて、気持ちよさそう」と感じたそう!時は流れ、女優さんになりたいと思ったきっかけは、アメリカのダコタ・ファニングさんという同年代の女性が、大原さんが観たことがある映画に出ており、感動したことがきっかけだそうです。このような感受性豊かの大原さんの感性が映画のオーディションでも生かされることになったのかもしれません。

大原さんの親は、特に外国の映画が好きだというわけではなかったそうですが、アメリカの映画作品に囲まれて育ったことが大きそうです。その後、ダンスを習っていた大原さんは偶然にもテレビ関係者の方と出会います。最初はダンサーとして、現在の所属事務所を紹介されました。しかし、本当は女優を目指しているという話をしたら、事務所のオーディションを受け、芸能の世界に飛び込むことになります。

1-2大原櫻子 オーディションの経験

大原さんの一大映画オーディションといえば、「カノ嘘」だそうです。ヒロインを募集しているという話を教えてくれたのは、学校の友達。学校の廊下で友達同士が何か会話をしていて、たまたま大原さんが通りかかったところ、「小枝理子って、めちゃくちゃサクに似てない」と話すのが聞こえます。学校で、大原さんは「サク」と呼ばれており、自分のことだと思って、「なんの話?」と聞き返したところ、「カノジョは嘘を愛しすぎてる」のヒロインをオーディションで選ぶという話を知ります。当時の経験について、大原さんは、まるで、引き寄せられたみたいでだと語っています。偶然の力ってすごいですね。その後、大原さんはこの映画のオーディションに挑戦します。

映画のオーディションというと4~5人ずつ面接を受けるというイメージがありますが、「カノ嘘」のときは、ひとりで部屋に入り、見たことのない人数の映画監督の前で審査が実施されました。「たくさんの人から見られている状態で、ぴりっとしてましたが、雰囲気はあたたかくて、優しく見守ってくださった審査だった」そうです。また、大原さんといえば「歌」、審査の課題曲としてcharaさんの「やさしい気持ち」、自由曲としては、平井堅さんの曲を絢香さんがカバーした「LOVE LOVE LOVE」を歌いました。人前で歌うことは気持ちが良いと語る大原さんですが、このときばかりは酷く緊張したそう。映画のオーディションでは冷静さが重要と語ります。演技審査も、ほとんど初挑戦で、芝居の技術はなく、体当たりで挑んだそうです。

1-3大原櫻子 オーディション後の活躍

その後、2016年7月より放送開始の月9ドラマ『好きな人がいること』に大原さんは出演しています。桐谷美玲演じるパティシエの美咲が、初恋の人・柴崎夏向(三浦翔平)が兄弟で営む海辺のレストランで働くことになるという物語。イケメン兄弟との夏の恋を描く爽やかなラブストーリーです。 大原さんはそんな兄弟が営むレストラン「Sea Sons」を訪れる謎の客・西島愛海を演じています。柴崎兄弟のなんらかの秘密を知っている物語のキーパーソンだといえそうです。「カノ嘘」で共演した三浦翔平、『恋仲』で共演した野村周平と再共演となりました。

また、ミュージカル舞台でも大原さんは活躍しています。大原さんは、2016年1月に劇団ユニット・地球ゴージャスがプロデュースする舞台『The Love Bugs』に出演。唄と生きる少女・天娘(てんこ)を演じました。また、2016年12月にはミュージカル『わたしは真悟』、2017年5月にはミュージカル『リトル・ヴォイス』への出演が決定!大原さんが憧れていたミュージカルの舞台でした。今後の活躍に期待です!

2-1ムロツヨシ オーディションを受ける前

ムロさんが26歳のとき、その機会は訪れます。小劇場のオーディションに出演した時のことでした。「初めて心底演じるのが楽しいと思えた瞬間でした」とムロさんは語ります。その後は、もっといろんな作品に出たい。待ちの姿勢ではダメだと、ムロさんは自分の存在を覚えてもらうため「ムロツヨシをお願いします」と名前を連呼し、セールスに汗を流しました。ついに努力は実り、映画監督の本広克行さんから声が掛かります。こうして初めての映画出演が決まったのです。非常に苦労され、映画のオーディションで勝利したことが分かります。本広監督は「お前の野心はきれいだ」と言ってムロさんの売れたい気持ちを認めてくれ、その後も数本、監督の作品に出演させてくれたそうです。ムロさんも、これらの経験を次につなげられるよう、全力で取り組んだそうです

2-2ムロツヨシ オーディションの経験

どんな役にも独特の存在感を吹き込む、俳優のムロさん。2015年5月公開の映画『明烏 あけがらす』でも、得意のアドリブとコミカルな演技で笑顔にさせてくださいました。そんなムロさんが役者を志したのは19歳の時だそう。浪人して東京理科大の数学科へ入学してすぐ、「学びたいことがあってこの学科に来た」と語る同級生たちに出会います。当時、偏差値の高い大学に入ることしか考えていなかったムロさんは恥ずかしく感じます。彼らみたいに、夢を持つ側の人になりたいなと思ったそうです。 その後、偶然見かけた芝居がムロさんの運命を動かします。このとき、ムロさんは、映画の芝居が自分がやりたいことなんだと直感で感じたそうです。翌日からは、大学へ行くのをやめてオーディションを受け始めました。凄まじい行動力と映画のオーディションへの執念ですね。しかし、書類審査すら通らない毎日の中が続きますが、ようやく役者としてオーディションの機会を掴むときが訪れます。

2-3ムロツヨシ オーディション後の活躍

今では映画やドラマで見かけない日はないムロさん。輝かしい活躍を見せます。『勇者ヨシヒコ』での第一波から着々とファンを増やし、戸田恵梨香さんの相手役を務めたドラマ『大恋愛~僕を忘れる君と』でぐっと大人な役もこなしました。ラブストーリーの名手と呼ばれる脚本家・大石静によるオリジナルの本格ラブストーリーで、若年性アルツハイマーを患うヒロインと恋に落ちる小説家の間宮真司を、陰をまとって演じ切ります。「ムロにキュンキュンするなんて」「ムロがかっこよく見えてしまった」と若干失礼な反応を生みました。また、同時期に『今日から俺は!!』で得意なコミカル演技を爆発させ、ギャップでより大きな話題をお茶の間に呼びました。コミカルかつクールな役もこなすムロさんの今後の活躍に目が離せません。

3-1津田健次郎 映画オーディションを受ける前

人気声優でもあり、俳優でもある津田さんは幼少時代をインドネシアのジャカルタで過ごしました。当時、ジャカルタには娯楽が少なく、VHSもあまり普及していない時代でした。そんな環境の中でも、津田さんにとっての最大の娯楽は「映画」でした。幼い津田さんは日本のヒーロー映画やハリウッド映画に触れていたそう。津田さんはジャカルタから帰国後も映画館へ足を運び続けます。なぜなら、映画館へのアクセスが良く、津田さんの伯父さんが映画の株主優待チケットを持っていたからです。中々に単純な理由ですが、映画に触れる環境が整っていたのです。そして、中学生になると古い映画に興味を持ち始めた津田さんは、大学の演劇研究所専攻科を受けて合格し、演劇活動に熱中します。大学在学中には、演劇養成所に入所。そこで、“演じる”面白さに気づきます。しかし、中々映画のオーディションの機会には恵まれず、声優の道へ。1995年のテレビアニメ『H2』のオーディション突破を皮切りに活躍を始めていきます。

3-2津田健次郎 映画オーディションを受ける前

津田さんは、オーディションをうける際には常に恩師の言葉を思い出していたそう。「演技をする上で嘘をつくな」と言葉でした。日常で自分の本当の感性を表に出してばかりいると、周囲の人はひいてしまう。だから、多少なりとも嘘やごまかしが混ざってくる。しかしながら、舞台では自分の感性に嘘をつかず、フルスイングで表に出していい。加えて、出せば出すだけほめられる。この説得力のある言葉が当時の津田さんの心の支えになっていたそうです。この言葉が、その後の俳優・津田健次郎の輪郭を形成します。養成所の卒業後は、声優だけでなく、本格的に舞台や映画作品で俳優としても活動を開始します。俳優と声優は違うものであると思う人も多いのではないでしょうか。しかし、津田さんは、この二つのジャンルに区別はないといいます。というのも、“演じる”という根底は変わらないからだそうです。非常にずっしりとくる言葉です。映画に限らずオーディションをうける際にはこの言葉を思い出してはいかがでしょうか。

3-3津田健次郎 映画オーディションを受ける前

その後、津田さん、幅広い分野での活躍を残していきます。多くのアニメやゲームに出演する人気声優・津田健次郎さんは、複数の表現者としての顔を持つに至ります。1995年に俳優、そして声優として活動を開始し、男性なら誰でも知っているであろう『遊戯王』の海馬社長役や、小島秀夫監督新作ゲーム『DEATH STRANDING (デス・ストランディング)』のサム・ポーター・ブリッジズ役を務めます。2012年には役者の枠を飛び越え、演出やプロデュースなど活動の幅を広げました。さらに、2019年には映画監督、クリエイティブプロデューサー、映画俳優への道も進み始めます。声優というスタート地点からキャリアを歩んだ津田さんだからこそ、幅広いジャンルで高難易度の表現ができるのかもしれません。今後の活躍に目が離せません。