意外と知らない役者と俳優の違いとは?【俳優志望必見】|映画オーディション
俳優と役者という言葉はよくテレビやメディアなどで出てきますが、実際と違いはよく分かってない人も多いのではないでしょうか?これを見てる方で、好きな俳優さんや役者さんがいる方もこれを読んだら新たな発見ができるかもしれません。今回は、似ているようで似ていない俳優と役者の違いについてお話していきたいと思います。
「役者」とは?
「役者」という言葉は「役を演じる者」の意味です。
もともと役者という言葉は、特定の職務を担当する人を指したり、お寺などの行事で特別な役割を持った人のことを意味していました。その後、平安時代から続く能や狂言の用語として役者という言葉が拡大して用いられるようになり、室町時代ごろから一般的に使われるようになったといわれています。
そして、この使い方は、戦国時代~江戸時代初期に流行しはじめた歌舞伎にも、引き継がれました。こうしたことから、能や狂言、歌舞伎といった舞台上で役を演じる者のことを「役者」と呼ぶことが定着したといわれているのです。
昔の人が使った役者という言葉の特徴は、伝統芸能として民衆から親しまれ、技芸に対するはっきりとした足場が感じられる言葉といえます。つまり、その役について、観賞する側がすでに知識や親しみを持っていて、歌舞伎役者においてのように、前の代の役者と演技を比べるなどができるということです。
そのため家業や立場によって役を与えられて演じる者、という意味合いも強いといえます。
「俳優」とは?
一方「俳優」という似た言葉もあります。俳優とは、歌や踊りによって神様を喜ばせる人とであると考えられていたようです。なんとなく現代的な言葉のように感じられるかもしれませんが、実は古事記や日本書紀に登場し、奈良時代以前から使われていたといわれています。つまり、役者よりも古い言葉であり、また、語源も全く違います。
俳優という言葉は古くは「わざおぎ」と読み、「神をおぐ(招く)態(わざ)」という意味を含んでいました。多くの宗教や文化でよくあるように、神から愛され、恵みを受けるためには、神を喜ばせる必要があります。そのため俳優とは本来、魔除けや豊作を願うために、歌や踊りによって神様を喜ばせる人を意味しました。
さらにこの言葉に深みがあることには、おかしさの意味をもつ「俳」と、悲しさの意味を持つ「優(憂)」という字を組み合わせていることです。つまりは、喜怒哀楽を表現してこそ、神様を楽しませ人の心を打つ演技ができるということなのでしょう。現代では「喜劇俳優」や「悲劇俳優」といった区別もありますが、古来の俳優という言葉には、これらすべてのスタイルや感情を含んだ意味がこめられているのです。
現代における役者と俳優の違い
現代において「役者」と「俳優」は同じ意味で使われています。
演劇界の芥川賞といわれる「岸田國士戯曲賞」で有名な岸田國士の著作のなかでさえ、役者と俳優は同じ意味として用いられているほどです。そうした背景には、「役者」と「俳優」という言葉の境目が、江戸時代にはすでになくなっていたことがあります。歌舞伎など物語を演じる「役者」が、演目のなかで歌や踊りも披露することになったため、「俳優」と区別がつかなくなったからといわれています。
見方を変えれば、古来の意味における「役者」は徐々に、その言葉に込められた地位や威厳を失っていったともいえるでしょう。宗教的な意味が薄れ、娯楽や芸能に従事する者という意味に移行していったからです。その地位が徐々に回復していくのは、民衆に生活のゆとりが生まれてきたからだといわれています。長く続いた江戸の平安な時代では、歌舞伎役者は民衆のスターでした。
また、明治に入るとシェイクスピアなど西洋の演劇も盛んになり、俳優という言葉も役者という言葉と同じ意味でよく使われるようになっていきました。
ちなみに、「女優」とは「女性の俳優」の略で、明治ごろから使われるようになったといわれています。これは、江戸時代に施行された法律により女歌舞伎などが廃止され、俳優といえば男性であるのがあたりまえであったからです。女優という言葉は一般的によく使われていますが、NHKでは性別によって職業を区別するのは不自然という理由で「俳優」で統一しています。
「役者」と「俳優」に関するさまざまな考え方
一般的には、役者と俳優は同じ意味の言葉、と捉えても問題はありません。しかし、芸能界や演劇界といったいわゆる業界に関係したり、そこで働いたりするつもりなら、違う捉え方をする人もいることを知っておいたほうがよいでしょう。
たとえば、武田鉄矢さんによると「俳優」は主役を張れる「スター」にしか使わないといい、「役者」は名脇役といわれるような、いろいろな役をこなせる人に使うといいます。そのため、武田鉄矢さんの区別によると、「金八先生」のように世の中の人にイメージとして定着している何かを持つごく一部の人しか俳優と呼びません。そのため「何を演じてもキムタク」と評される木村拓哉さんや、プライベートでも紅茶を飲んでいそうと言われるような「相棒」でおなじみの水谷豊さんなどが、このような「俳優」といえるでしょう。一方、遠藤憲一さんや松重豊さんなど、多くの作品に出演する名脇役といわれる人たちは「役者」となるのです。
また、役者のほうが職人気質という感じがする、と捉える人もいます。つまり、自分の個性を前面に押し出すのではなく「役に自分を合わせる」「別の人物になりきる」ことができるのが役者だとする考え方です。このような考え方を持つ人は、劇団出身者に多いといわれます。劇団の場合、求められる人物像に合わせなければ役がもらえないため、こうした「役者=職人」と考える要因となっているようです。このあたりは、ともすればルックスやアイコン的な価値という個性が認められ、テレビドラマなどに抜てきされる場合が多いテレビ出身者と対照的といえます。
プロとして意識することが大事
役者にしても俳優にしても、プロとしての意識を持って演じることが大切です。
役者と俳優を同じものと捉えるにしても、違うものと捉えるにしても、演技に対してプロフェッショナルな姿勢を持たないことには、誰にも評価してもらえないからです。結局のところ、「役者」と「俳優」に明確な違いはなく、演じる人が持つ雰囲気や見る側の捉え方などにより、役者と呼ばれたり俳優と呼ばれたりするものだ、と考えていればよいのではないでしょうか.
もし、演じる人がささいな点でもこだわりを持っていれば、それは演技に表れるはずです。まずは優れた演技をする、プロとして一定水準以上のレベルに達することが重要で、役者なのか俳優なのかを自分の中で明確にするのは後になってからでも遅くはありません。オーディションに合格し、舞台やテレビで出演を重ねていけば、やがて、自分が華のある存在なのか、それとも脇役に向くのかなどがわかってくることもあります。あるいは、自分や家族、友人などが気付いていないような素質を見抜いてくれる人に出会えるかもしれません。
たとえば、佐野史郎さんは、20代のころは自我を吐きだすように自分のための演技をしていましたが、経験を重ねるうちに作品のために演技ができるようになったといいます。佐野史郎さんは前者を役者、後者を俳優と区別しているのですが、このように、経験によって考え方が変わる場合も多いのです。特に、自分の子どもを子役にさせたいと思っている親の場合、まずはいろいろな経験をさせるために、プロとして一定水準以上のレベルに達することを最優先にしたほうがよいといえます。そのために、演技に対してこだわりを持たせることが何よりも大切なのです。